宮仕えを辞めた理由 (1)

41歳のときに、勤めていた会社を辞めた。

理由はたくさんある。その理由を整理してみようと思う。

前の記事ではしょったところだ。

社会主義

まずこれ。仕事してもしなくても、数字を出しても出さなくても給与変わらん…。せいぜい、年2回のボーナスが気持ち変わる程度。

これってどういうことかというと、能力がある人や真面目に働いて結果を出した人ほど、組織への貢献とリターンが乖離するシステムだということ。もちろん、昇給はある。が、これがまた曲者で、この昇給というシステムは、上司のさじ加減ひとつのところがあって、必ずしも組織への貢献とリターンが比例すると言うわけではない。

年功序列

 年功序列それ自体を、悪いとは言い切れない、と思っている。年功序列って、終身雇用が前提で、定年まで勤めあげた時点のトータルでの収入でバランスされている。バランスされているという言葉の意味ですが、パフォーマンスが高い若いときに稼いだ分を、歳をとってからもらえるという仕組になっているということ。ある意味、年金のような仕組みになっていて、若い人達がご年配の方の給与を支えているという仕組。なので、年配の人は、パフォーマンス以上の給与を得ているし、若手は、パフォーマンス以下の給与しかもらえていない。これ、このループが続くのであれば、問題ないと思います。いつか自分もパフォーマンス下がるときが来て、逆に稼ぎ以上に受け取るときがくるわけなので。ただ、途中でこのループが切れるとしたら、ちょうど切れるとの世代は悲惨ですよね…。若いときは、給与抑えられて、歳をとって、さぁ今度は我々が若手に支えてもらう(若いときに貯金した分を会社から返してもらう)、と思ったら、「もうこれからは年功序列とかムリ」と会社と社会から言われるわけ。多分、それが今40前後の世代と思う(2021年時点)。

働かないおっさん多過ぎ問題

まぁ、上とほとんど同じ話なんだけど、いちおう別枠で書いておく。お仕事がおできにならないバブル世代の50代以上がたくさんいて、おまけにそのお方たちのの給与が高いという、もう訳分からない状態。比較的数の少ない若手や中堅が稼いで、比較的に数の多い50代が稼ぎをちゅーちゅー吸う構図。そりゃ、モチベーション上がらんて…。企業もようやく最近、ここにテコ入れを始めたみたいだけど…。

もちろん、仕事のお出来になる50代もおります。

続く

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この記事を書いた人

コメント

コメント一覧 (7件)

  • カシワノブログさん、こんにちは!
    昇給、昇格、すべて上司の腹次第。まさしくです。
    社長のお気に入りは子会社のチェアマンに抜擢され
    まったく業績が上がらなかったにも関わらず
    「チェアマンは司会者という意味なんだから
    彼に責任なんて一切ないんだよ。」という社長の一言で
    高給をそのままもらっておりました。

    続きが早く読みたいです。お待ちしてます!!

    • じゅんじゅんさん、コメントありがとうございます。

      > チェアマンは司会者という意味なんだから彼に責任なんて一切ないんだよ。

      これは…、なんというか、味わい深い…。
      なかなかのパワープレーをする社長様だったようですね…。
      思わず、胸が熱くなりました。

      続き、もう少しお待ちくださいませー。

  • 働かないおっさん多過ぎ問題あるある過ぎて笑いました。
    家と会社にしか居場所がない寂しいおっさん程頑固で威張る。

    毒舌?カシワノブログさん視点で切り込むあるある話が面白くて早く続きが読みたくなりました。
    その続きは…?更新楽しみにしてます☺

  • 確かに、社会主義、年功序列のどちらも、能力がある人や真面目に働いて結果を出した人ほど、組織への貢献とリターンが乖離するシステムだと思いますが、能力がない人や真面目に働いてもさほど結果を出せない人にとっては、まさに救いの神のようなシステムにもなっていると思います。

    その救済システムに幸運にも救われた50代のおやじ達も60歳になると、自分の市場価値を否応なしに受け入れざるを得ない事象「定年」がやってきます。

    このとき、何らかのスペシャリストとしての地位を構築できている人以外は安く買い叩かれる。

    大幅な賃金カットと肩書剥奪、席も新入社員と同列となり、呼び捨てにしていた部下の名前を「〇〇さん」付けで呼ぶようになり、プライドとやりがいもすっかり奪われれ、死んだ魚の目で働く継続雇用を選ぶか、定年するかの選択を迫られる。

    これまで社会主義システムで守られていたおやじたちが、今度は資本主義のルールで買い叩かれ、
    イソップ童話「アリとキリギリス」のキリギリスの結末になる。

    こう考えると、結構、残酷なシステムのように思えます。

    「アリとキリギリス」の童話の結末にいくつかの説があるようで、その1つにある
    「もう歌うべき歌はすべて歌った。君は僕の亡骸を食べて生き延びればいいよ」

    と最後に言えるような50代を過ごしたいと、このブログを読んでいて思いました。

    • とらふぐさん、コメントありがとうございます。

      この問題は、決してなくならないとある人が言っていました。
      私もそう思います。

      優秀な(生産性の高い)個体は、その分、他の個体より富を欲しいと思う。
      他より劣っている(生産性の低い)個体は、平等にして欲しいと思う。

      でも、後者については、人類の実験は終わっていて、答え出ていると思っています。

      「もう歌うべき歌はすべて歌った。君は僕の亡骸を食べて生き延びればいいよ」

      私もこう言える人生を過ごしたいと思いました。

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